社長コラム

社長コラム 2007

第44回(12月27日)『バイオは知れわたったか』

原油高やサブプライムローンの問題も冷めやらぬまま,2007年もいよいよ幕を閉じようとしています。年末に上場した同業バイオ企業の株価も予想を下回った様子で,私達がいるバイオ業界には益々冷たい北風が身にしみる季節になってきました。

そのような状況の中で,当社は今年,テロメライシンのアメリカでの第Ⅰ相臨床試験を順調に進めてきました。これまでに臨床上問題となるような副作用はなく,初期の目的は達成できたのではないかと考えています。更に,来年には色々ながん種を対象とした第Ⅱ相臨床試験を海外で開始する計画です。

一方で,HIV感染症治療薬のOBP-601の前臨床試験も順調に進み,いよいよ来年春には臨床試験を開始する手続きを進める計画です。また,HCV感染症治療薬のOBP-701をアメリカのバイオベンチャー企業タチェーレ・セラピューティクス株式会社から導入することに成功し,いよいよ前臨床試験を開始する運びとなってきました。

また,今年は学会報告をはじめ,新聞や業界紙,或いはテレビやラジオといった媒体を通じて,私たちの研究開発や事業内容を世間一般に向けて,ある時は専門的に,ある時は平易な言葉遣いで公表してきました。こうして私達は,がんや重症感染症に罹った人々のためにも,そして日本のバイオ産業の発展のためにも,日夜社員一丸となって努力を重ねてきました。

しかし,残念なことに,まだまだ「バイオ」は世間一般には難解な領域のようです。いったいどんな会社がどんな治療や診断技術を持ち,どんな業績を上げているのか,よく知れ渡っていないという現実を,時に目の当たりにすることがあります。先日もたまに入った小料理屋の女将が,自分は以前バイオ株を買って持っているが,その会社が何をやっていて,どのように社会貢献するのか,全く知らないと言っていました。これはバイオが難解であると同時に,私たちバイオ業界からのプロパガンダが不足していることにも原因がありそうです。「目に見えないバイオ」をまず世間の人々によく理解してもらうことも,バイオ産業を発展させる上では重要なことではないかと考えています。

まもなく新しい2008年度が始まろうとしています。当面はバイオ業界にも冷たいアゲインストの風が吹き荒れることでしょう。しかし,そのような状況の中でも私達は着実にがんや重症感染症に対する治療効果を検証し,誰にでもわかりやすい「バイオ」業界を目指して行きたいと考えています。来年も皆様の御指導や御支援をお願いしたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

第43回(11月29日)『バイオベンチャーの資金』

先日ある大手製薬企業のトップの方の講演を聴く機会がありました。薬価切り下げや新薬の開発動向など,日本の製薬業界から距離を置いている者にとっては非常に参考になるお話ばかりでした。ところが,日本のバイオベンチャー企業に対する氏の見解に関しては,驚きを隠さざるを得ないものでした。

曰く,大手製薬企業は現在のところ日本の創薬バイオベンチャーに対して積極的に投資する状況にはない。評価をするならばPhase IIbが終わってPhase IIIが始まる段階になる。それまでベンチャー企業は国家が支えてゆくべきだ,というものでした。その理由は,海外での大規模臨床試験に大きな資金投入が必要であり,評価するべきバイオベンチャーは日本以外であるべき,ということでした。日本の製薬企業界をリードし,ひいては日本の経済界の一隅を担うべき立場のある方から,国内の底辺にあるバイオベンチャーの評価は後回し,という言葉を聞かされた同業の方々の落胆はいかほどであったろうかと推察します。現実に,国のベンチャー支援費用は微々たる物でしかありません。

現在,日本のバイオベンチャー企業の台所事情は非常に厳しくなってきています。資金集めに四苦八苦していて,本来の創薬事業への時間が取れないでいる社長さんたちの話を数多く耳にします。このような状況が長く続くようでは,いずれ日本のバイオ産業は衰退の道をたどることになってしまいます。

一方,アメリカに目を転ずると, NASDAQなどに上場しているバイオ企業は400社を越していて,そのセクターを形成し,それらへの投資額は年に数千億円にも達しているという状況があります。また,世界に名立たる大手製薬企業は,独自の投資ファンドを持ち,独自のベンチャー投資を行っています。そのような状況下でアメリカのバイオ産業は大きく成長してきた歴史があります。まるで痩せた荒地から肥沃な農耕地を眺めているような気分になります。

日本国内での臨床試験が敬遠され,海外で実施される傾向は益々強くなってきています。まして国内での資金獲得が困難な状況が更に続くようでは,バイオベンチャー企業は海外に出てゆかざるを得なくなってきます。「がん難民」ばかりではなく「ベンチャー難民」がこれから出てくることにもなりかねません。私達はこれからの海外進出を考え,しっかりと国際感覚を身につけ,言葉や文化の壁を超え,開発も資金調達も海外を視野に据える必要があると考えています。

第42回(10月29日)『母が教えてくれたこと』

私事で誠に恐縮ですが,この夏に最愛の母を亡くしました。享年78歳,日本人女性の平均年齢から考えると,やや早かった末期でした。両側性脳塞栓の後1年9ヶ月に及ぶ壮絶な長闘病の末,肺炎を患って他界しました。人間の生命力の強さと同時に,人生のはかなさも思い知らされました。そして数々のかけがえのない教訓を私に,身をもって教えてくれました。

当社の創薬事業は,まさに「くすり」を創る仕事であることであり,「くすり」は人の生活や命に関わる重要な社会的役割を果たしていることは間違いのないことです。しかし残念ながら,「くすり」は私の母の命を救うことが出来ませんでした。強い挫折感が私の心に残ることになりました。

私が子供の頃からよく言っていた母の言葉を思い出しています。まだ高校生だった頃の夏休み,野宿覚悟の無謀な旅に出かけようとしていた私に「自分を過信してはいけないよ」と,背中越しに母は言いました。「わかってるよ」と言いながら,私の心は既に旅の空を舞っていました。そして痛い目にあったとき,いつも母のその言葉を思い出していました。

3年前に大企業を出てベンチャー企業を始めると言った時も,やはり母の目は「過信してはいけないよ」と語っていました。しかし,決して母は私がやろうとしていた事には反対はしませんでした。それどころか,一度新しい世界へ踏み込んだ私を興味深く見守ってくれていました。それは父親とは全く逆の視線でした。

ベンチャー企業自体,ある種の賭けであり,経営者は絶対に勝てると思って振ったサイコロです。科学に基づいた創薬は賭け事では決してありませんが,創薬ベンチャー企業が安定した企業にまで成長するには,莫大な資金と長い開発期間が必要です。経営を健全化するためには,ヒト・モノ・カネのバランスが重要であり,そのためには会社の事業価値や環境を客観的に評価する冷静さが経営者には求められます。 そんな時に心の中に母の声が響いてきます。過信することなかれ,慢心することなかれ。心の中で応援していてくれる母の言葉を忘れないようにしたいと思います。

当社は今月,フジサンケイビジネスアイ主催のバイオベンチャー大賞において文部科学大臣賞を高円宮妃殿下立会いの下で受賞することが出来ました。その光栄は胸に留め,今後もテロメライシンやテロメスキャン,そして抗HIV・HCV薬の開発に謙虚に邁進してゆきたいと考えています。

第41回(5月29日)『「がん難民」の行方は?』

昨年末にNPOの「日本医療政策機構」が日本のがん難民が68万人にも達するという推計結果を発表しています。がん難民と言うのは,医師の説明や治療方針に納得できず,いくつもの医療機関を点々とするがん患者さんのことを言います。こういった患者さんの91%ががん医療への何らかの不満を持っており,受診医療機関の数の平均が3機関で,その保険医療費は141万円にのぼっています。この数字は,がん難民以外の患者さんの平均2機関で96万円という数字を大きく上回っていることになります。

さて,1981年から日本国民の死亡率のトップになっているがんに対して,政府はこれまでに3度にわたる10カ年総合戦略を進めてきました。その間に投じられてきた金額は計り知れず,昨年の政府のがん対策費用は160億円であったと言うことです。しかし,心疾患や脳血管障害による死亡率の激減と対比して,がんによる死亡率はほぼ横ばいである現状をみると,がん対策にはどれ程の効果があったのか,疑問が残ります。

私はテロメライシンのアメリカでの開発を通して,日本と欧米でのがん治療の違いにしばしば遭遇します。最も特徴的なことは,Oncologist(オンコロジスト)というがん治療専門家の数の違いです。日本ではまだその認定医が10人を上回った程度と言われていますが,アメリカではどこのがん治療センターに行っても,何人ものオンコロジストに出会います。彼らは,外科や内科のみならず放射線科や薬剤部といったスタッフとの横の連携を深め,その患者さんにとっての最高の治療法を選択するのです。日本では主治医が全てを判断するのとは大きな違いです。ここが改善されない限り,がん難民は日本からなくならないのでしょう。

新しいがん治療薬をアメリカで開発している我々も同じような局面に遭遇します。治験を進めてゆく上で,オンコロジストを中心とした治験スタッフのチームが実施要項に最も適した患者さんを迅速かつ的確に選択してくれます。それによって治験のスピードも速まることになり,質も高いものになります。そのようなシステムのない日本では,がんの新薬開発はどんどん欧米に向けられてゆくことになり,それによって治験の空洞化はますます進んでゆくことになります。

テロメライシンの第1相臨床試験は現在アメリカで進行しています。既に5例の進行性・再発性固形がん患者に投与されましたが,これまでに重篤な副作用は報告されず,一部の患者さんにおいてレスポンスが認められています。出来る限り早くテロメライシンの臨床での安全性と有効性を証明して行くため,これからも努力を続けてゆきたいと考えています。

第40回(5月1日)『消え行くベンチャー精神』

最近の財団法人「日本青少年研究所」の報告によると,日本の高校生は米中韓国に比べ「のんびり暮らしてゆきたい」と考えている率が格段に高いことがアンケートによって判明したと言う。そのように答えた生徒は米中韓で14-22%であったのに対し,日本では43%であった。逆に「偉くなりたい」と答えたのは米中韓で22-34%であったのに対し,日本ではわずかに8%であったという。この結果から,日本の将来を支えてゆく若い世代では,偉くなることに対する負のイメージが強く,責任の重い仕事を避ける傾向が強い,と言うことになります。

この結果がゆとり教育の成果なのかどうかは私の知る範囲ではありませんが,理数系教科に対する成績も日本は低下傾向に歯止めがかからず,アジア地域でも低い成績であったというような報告を耳にしたこともあります。この世代の青年たちは,我々がバブル景気に浮かれていた頃に生まれて,バブル崩壊とともに疲れ果てた親を見ながら物心が付いた世代と言えるでしょう。

日本にもこの10年間にIT技術を中心としたベンチャー企業が数多く生まれました。その経営者となったのは20代から30代の若い世代が中心であり,これまでの50-60代を中心とする日本的な企業経営のあり方に大きな変革をもたらしました。この世代の親はまさに団塊世代を生き抜いてきた人々であり,若い経営者はその親の背中を見て育ってきたのでしょう。

一方,我々のような創薬バイオベンチャーの日本での歴史は浅く,まだ10社程度が上場に漕ぎ着けたに過ぎません。アメリカでの歴史は既に30年近くになろうとしており,500社ものバイオベンチャー企業が上場するに至っています。日本のバイオベンチャー起業者の年齢に関する詳細情報は持ち合わせてはいませんが,恐らく40-50代が中心で,IT領域よりも10年以上年上であることは間違いないと思います。即ち,それ相応の業界での経験がないと,この領域の事業は出来ない,という業種の特殊性なのでしょう。

その特殊性のあるこのバイオ業界の将来はどうなるのでしょうか?まずは20年以上遅れたアメリカの技術に追いつくこと,そして,多くのバイオベンチャーが上場を果たして経営拡大できることが挙げられます。しかし,その将来の発展を担う若い世代からベンチャー精神が消えつつあると言います。ベンチャー振興の激しい米中韓では「自分の会社や店を作りたい」と答えた生徒が28-37%であったのに対し,日本の生徒ではわずか14%であったといいます。ただでさえ難しいバイオ技術をこの先誰に受け継いでゆけばいいのか?バイオベンチャー経営者の悩みの種は尽きません。

第39回(3月23日)『タミフルの事例に習う』

厚生労働省はインフルエンザ感染症治療薬「タミフル」の10代の患者への投与を原則中止する旨の通達を行いました。服薬後に幻覚症状を示した少年がマンションから飛び降りるなどの死亡事故が相次いでいた,という事実に基づくものだということです。

タミフルの効果とは一体どのようなものなのでしょうか?意外に世間には知られていないのではないでしょうか。過去に行われた欧米での臨床試験の結果では,何も処置しない患者さんでは,インフルエンザに感染してから約1週間で症状がなくなるのに対し,感染後24時間以内にタミフルを服用した患者では,その期間が平均4-5日となり,職場などへの復帰が2-3日早まる,といった結果でした。この段階では若年者のデータも多くはなく,幻覚や妄想といった中枢性の副作用は問題になりませんでした。

医薬品の価値は副作用(リスク)と効果(ベネフィット)のバランスで決まるものだと思います。タミフルは臨床データから見ても,インフルエンザの特効薬と言えるほど強力ではないでしょう。元来日本人は,風邪など玉子酒でも飲んで寝てりゃ治る,という観念があったと思います。ただ,時代が進んで経済が発展してくると,そう長い間会社を休んで寝ているわけにもいかず,ちょっとでも早く復帰できるのならばと,誰もがタミフルに頼ってしまったことは事実でしょう。玉子酒とタミフルとどちらが有効かは誰にも分かりませんが,今回問題となっている中枢症状の評価は科学的にも非常に難しい問題をはらんでいると思われます。タミフルのリスク・ベネフィット評価について,今一度判断しなおすべき時なのかもしれません。

そもそも特効薬などと言うものはこの世に存在しているのでしょうか?糖尿病や高血圧などの症状をしっかりと抑える医薬品はありますが,その病気の本体を完治させるレベルには達していません。我々が開発しているウイルス療法もがんを完治させるものではないのかも知れません。しかし,これまでの臨床試験の成績から見て,既存の化学療法剤や分子標的治療薬に認められるような重い副作用は全く認められてはいません。

我々は今後もテロメライシンのリスク・ベネフィットのバランスをよく考え,いまのがん治療法の欠点を補い,将来のがん治療の選択肢の一つとして医薬品市場に生き残れるよう,臨床データを見守って行きたいと考えています。

第38回(2月19日)『ボールから目を離せ』

今年もシアトルマリナーズ・イチロー選手の新春インタヴューをテレビで見る機会があり,非常に興味深い彼のコメントに接することができました。野球道を極めつつある彼の言動には,経営者としても大変に参考になるところが多いと思います。昨年は「首位打者になるべき資格」という話しでした。首位打者を取れるかどうかではなく,まずは首位打者であるべき品格を持つことのほうが重要だ,という彼なりの主張でした。オンコリスバイオファーマが優良な会社になるためには、社員一人ひとりがその品格をもたなければならない、と何度も社員には言い聞かせてきました。

さて、今年のインタヴューの話です。昨年彼はライトからセンターへとポジションが変わりました。慣れない守備位置にも関わらず,彼はレフトやライトの守備範囲まで縦横無尽に駆け巡り,難しいフライも間一髪のところでキャッチするというファインプレーを連発した姿は,誰の目にも焼きついていると思います。そこでインタヴュアーの「外野でボールを捉えるときどのようなことに気を使っていますか?」との問いに対して,彼は「ボールをキャッチする時、あえてボールからは目を離します」と答え,インタヴュアーを驚かせていました。これは一見守備の基本に反するようなやり方に思えます。

しかし,彼は敢えてキャッチの瞬間にボールから目を離すと言うのです。つまり、キャッチする瞬間までボールを見ていたのでは,彼のホームへの矢のような返球は生まれてこないのです。ボールをキャッチする寸前に,すでに彼はボールから目を離し,次の目標へと目線は動いているのです。ゴールを敢えて前に持ってきて,いち早く次に来るポジションを決めるという行為は,当たり前なのですが実行は難しいものです。プロの選手でさえ,太陽の逆光線やライトに目が眩んで,一生懸命球筋を追おうとしても落球することは多いのです。

企業経営には深い洞察力や幅広い経験が必要なのは今更言うまでもないことです。しかし,ベンチャー経営にとって最も必要なもののひとつは,何といっても打てば響くような瞬発力なのではないでしょうか。会社の規模が小さいために,幾重にもまたがる承認印など不要です。そして,一つの段階に区切りがついた時には,すでに次の段階の行動が始まっている,というスピード感を常に味わえるのもベンチャー企業の醍醐味なのです。「ボールから目を離せ」というイチロー選手の逆転の発想を,我々も大切にしてゆきたいと思います。

第37回(1月24日)『Genentechへの道』

今年も1月早々にサンフランシスコで開催されたJP Morgen主催の第25回Healthcare Conferenceに参加してきました。連日好天に恵まれ,4日間でおよそ300社あまりのNASDAQ上場バイオ・ヘルスケアベンチャー経営者による業績発表を聴講してきました。会場のホテルもラッシュアワー並みの人だかり。まさに,バイオ創薬情報のシャワーの中に身を置いてきたという感じでした。

老舗格のGenentech,Amgen,Gilead,そしてGenzymeあたりの業績は引き続き好調で,それに続く中堅クラスのバイオ企業も臨床段階のパイプラインをどんどん増やしてきているようでした。中でもGenentechの充実振りは抜きん出ていたようで,昨年の売上は1兆円を越え,30の新規パイプラインが臨床試験後期にあるというものでした。更に,がん治療薬領域の売上ではGenentechが巨大製薬企業を抑えて堂々世界一になったという事です。

物のついでに,サンフランシスコ南部の郊外にあるGenentechの本社・研究所を見てきました。青い空と透明な風の中,サンフランシスコ湾沿いにおよそ1時間のドライブでした。10年程前に訪れた時の印象は,サンフランシスコ湾を臨む丘の上の伸び盛りのベンチャー企業,という印象でした。しかし,今では数多くの新しいビルや研究施設がその丘全体を覆うように立ち並んでいて,「Genentechキャンパス」などと呼ばれるようになっていました。また,建物の方々の壁には巨大なヒトの顔写真がディスプレイされていて,そこに名前と年齢が読み取れました。これは,Genentechの医薬品によってがんや難病から生存した人々の写真だという事でした。またキャンパスの中の人(社員・研究員)通りも多く,コミュニケーションが活発で,企業としての活気が漲っているように思えました。

Genentechの成功の秘訣は何だったのでしょうか?これは既に多くの分析がなされていて,私が述べるまでもないことだと思います。資金集めが上手く行った,抗体医薬に投資を集中させたのがよかった,いい研究員が多く集まった,よい経営者がいた,知財の質と量が充実していた・・・など。ただ,私が感じているのは,まだ日本にはこの様な条件をクリアできる段階には至っていないのではないかということです。人材の流動性,テクノロジー,資金,インフラなど,まだまだ創薬ベンチャーが育つべき土壌が日本には培われていないような気がします。「Genentechへの道」それはまさしく私たちが切り開いてゆくべき,大きな課題だと思っています。サンフランシスコのダウンタウンへの帰路,ハイウェイの後ろに沈んでゆく夕陽が眩しく目に焼きつきました。

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