社長コラム

社長コラム 2005

第20回(12月28日)『バイオ・医薬業界,そして年の瀬』

日本臨床薬理学会(12月1日,別府)で日本の臨床試験(治験)のあり方について,その問題点が産官学で議論されました。近年,医療機関側の治験体制整備は,CRO(医薬品開発業務受託会社)やSMO(治験施設支援機関)などの浸透化によって,よりスムーズになってきたことが明らかとなった反面,そのようなシステムにかかるコストが割高となり,結果的に開発コストの高騰に繋がってきていることも明らかとなりました。

一方では,依然日本の臨床開発の空洞化は改善せず,近年多くの新薬の治験が欧米で開始され,「キセル乗車が続いている」と日本の治験の現状を表現した医師もいたようだ。また,厚生労働省の新薬評価を司る医薬品医療機器総合機構の審査員が決定的に不足していることを総合機構自身も認めており,特に生物系審査部(バイオ関連)は定員19名に対して現在15名しかおらず,今後のバイオ医薬品時代への対処が全く整っていないと報告されました。総合機構が理想としている日米欧の世界同時開発には,まだ程遠い状況と言ってよいだろう。

当社も今年後半からアメリカのFDA(食品医薬品管理局)とのお付き合いが始まり,制限増殖型ウイルスの前臨床試験方法や臨床試験にまつわる相談が非常にスムーズに行われてきたことを実感しています。日本の総合機構の現状を考えると,当社のようなベンチャー企業は,長期間に及ぶ審議の上に,数々の(山ほどの)宿題を課されることは致命的であり,資金難に陥って取り返しの付かない状況を招きかねないだろう。

12月19日には厚生労働省より来年度の薬価が平均1.8%切り下げられることとなった。この報を聞いたある製薬企業のトップは,将来の新薬開発に対する意欲が削がれる,と不満を述べ立てていた。私は決してそうは思わないが,益々特長の明らかな臨床的有用性の高い新薬の開発が望まれるようになっていることは確かであり,ソロ新薬で市場を奪い合おうと言う原理だけでは,この業界を乗り切れない時代になってきているのだ。

2005年もいよいよ終わろうとしています。今年後半は日本国内のバイオベンチャーの株式上場がなく,上場審査基準も厳しいものになってきていると言われています。それにもかかわらず,アメリカでは,近年許可された新薬(ピカ新)の過半数がバイオ医薬になってきていて,今後更にその傾向は強まるという現実もあります。このような状況の中で,来春には当社のテロメライシンもアメリカでいよいよ臨床試験段階に入ろうとしています。

今年も株主の皆様や,業界の方々から,数々の助言やご指導を頂きましたことを,大変に感謝しています。来年も医薬・バイオ業界を私の目で俯瞰してゆきたいと考えていますので,益々皆様のご指導とご協力を賜りたいと思っています。

第19回(12月15日)『バイオベンチャーの合併』

先般,日本の先駆的バイオベンチャーであるオステオジェネシス社とアムニオテック社が合併することが発表されました。共に再生医療を目指す会社同士であり,リソースの共有・効率化を期待してのもののようです。

日本のバイオベンチャーには,どの会社にも,非常に将来性の感じられる興味深いネタはあっても,ヒト・モノ・カネは共に不足しているというのが現状でしょう。それを考えると,同規模のバイオベンチャー同士の合併は,リソースの共有化という点で合理的でしょう。研究開発資源のみではなく,人材・情報・資金を共有することによって,世界にアピールできるようなバイオ産業が成長することを期待したいと思います。

ただ, これが露骨なM&Aとなると,やや様相が違ってくるのかも知れません。バイオベンチャーの起業精神は,自分達の自由な発想のもとに,自分達の企画で,出来れば自分達の努力で最後まで成し遂げたい,と言うものであるはずです。であれば,出来ることなら同程度の規模で,共に頑張ろう,という業務提携が好ましいのでしょう。M&Aされることによって,自分達の独自性が維持できなくなり,全てが市場原理に左右されるようになってしまえば,そのベンチャーの良さまで失われかねないでしょう。やはり,起業~成長期にあっては同規模企業と組み,製品が成熟してきたら大企業と組む,という2段階の構図が理想的のように思います。

特に創薬型のバイオベンチャーでは,開発初期段階で大手製薬企業と提携することは困難な場合が多く,このような段階ではシナジー効果のある同規模の会社と提携することによって,よりスムーズに製品を開発して完成に近づける事が重要だと考えています。当社もそろそろよき友を選ぶべき時期に近づいているのかも知れません。

第18回(12月1日)『アウトソーシングの本質』

研究開発経費効率化のためのアウトソーシングは,大企業をはじめ,どこのベンチャー企業でも積極的に行われている。当社も自前のウェットラボは持たず,大学の研究室に間借りをしている。アウトソーシングが本当に経費の効率化に寄与したかどうかは,我々もこれから検証してゆく必要があろうかと思っている。しかし,一つ言える事ができるのは,時間短縮に貢献していることは間違いない。自前のラボを持ち,優秀な研究員を集め,適確な目標設定のもと,一丸となって・・・などということは,これまでの資金豊富な大企業での経験から鑑みても,非常に稀有なことではなかっただろうか。

アウトソーシングしたのに,予想よりはるかに時間がかかり,経費も嵩んでしまった,などという経営者の繰言をたまに耳にする。どこかに双方の見積もりの甘さがあったはずだ。今さら委託先を恨んでみても後の祭り。委託したから,契約したから,あとはその通りに実施してくれるだろう,いや,実施しなければならないのだ,などという建前論は,後から言っても空しいだけだ。金を出したんだから口まで出さなくてもいいだろう,という考えはアウトソーシングの素人と言っていいだろう。これは大企業に多いパターンで,誰が旗振りをしているのかわからない状態での,所謂丸投げ型だ。

大切なのは,金は出すが口も出す,という精神なのではないか。アメリカ人はよく「日本人のビジネスはおとなしすぎる」というようなことを言う。委託先に対して初めは細かい注文はつけるが,その後のフォローが鷹揚だ,と言うのである。相手も人間である。最初は頑張ります,やり遂げます,と言っていたものが,時間が経てばルーチンワークになってくる。これは,自社の社員も同じことであろう。同じ経費を出すのであれば,定期的に訪問して状況を聴取し,その担当者とは自社の社員と同じ気持ちで接し,注文をつけるべき時ははっきり言い,うまくいった時は共に喜びを分かち合う,という雰囲気作りも重要だ。これは簡単に見えて,実は自社のラボを持つ以上にハードなことかも知れない。

当社は現在アメリカのラボ数社と,前臨床試験および臨床試験の委託提携をしています。2006年からのテロメライシンのアメリカでの臨床試験に先立ち,11月半ばにはFDAとのPre-IND会議を終え,これまで順調なアウトソーシング先との関係構築を実施することができました。今後も開発経費の効率化を目指した新たな体制作りをしてゆきたいと考えています。

第17回(11月15日)『西海岸で思う』

出張でサンフランシスコに来ています。すきとおった青い空と乾いた風が今回も私を出迎えてくれました。ここアメリカ西海岸は,バイオベンチャーの発祥地であり,私が始めてバイオベンチャーを知ったのも,そして自分自身で起業を考えたのもここでした。何しろ,朝5時にはゴールデンゲイトブリッジは渋滞,サウスサンフランシスコのベンチャーオフィスではすでに会議が始まっている,といった状況を実際に目の当たりにして,大企業にいて殿様商売をしていてはそのうち負けるな,と強く感じたものです。

今回は,長年サンフランシスコでバイオ創薬を手がけてきた先達に教えを請うためにやってきました。彼は既に一つの大きな仕事を成し遂げ,更にまた新たなバイオ創薬企業を,まさに立ち上げようとしているところでした。私と同じ夢を持ち,同じ困難に立ち向かってはいるけれど,彼は私より10年もこの道の先輩なのです。

今回の会議は,秘密保持契約下ではあるものの,彼の考えはもちろんのこと,バイオ技術に関する相当細かな情報まで共有でき,非常に実のある会議でした。そして何よりも収穫であったのは,論文や情報誌からでは,とても入手できないような情報が入手できたことであり,また,彼との親交がより深まったことでした。

彼らの姿勢は非常にフェアーです。要は,最先端の技術を駆使するバイオ企業とはいえ,自分達だけで出来ることはたかが知れている。それよりも,バイオ市場をもっと盛り上げるために,お互いに共有できる情報や知財はもっとあるはず。いろいろ情報交換をしてお互いもっと成長しよう,という気風が強く感じられました。小さなバイオ企業が,我も我もとNo.1を主張しても,実は世界規模で見ればたかが知れています。もっと力を合わせましょう,と言うことだ。

日本人は海外に出かけた時,道ですれ違う時,お互いに眼をそむけるという。事実私もその一人のようです。我々バイオベンチャー業界も,もっとオープンマインドを見習ってもよいのではないでしょうか。

第16回(11月1日)『大手製薬企業決算に思う』

世界最大手の製薬メーカーであるファイザー製薬の7-9月期決算が,前年同期の約半分になり,業績の下方修正を余儀なくされたと報道された。内訳は,抗炎症薬2品目の販売中止および販売低迷が大きく寄与し,更に世界で一番売れている薬と言われている高脂血症治療薬リピトールの売上げがわずか1%しか上昇しなかった点である。同効品に押された勃起不全治療薬や高血圧治療薬も同様であった。

同社の主力品を眺めてみる。いずれも巨大な市場規模を形成しており,当然競合品も多い。ファイザー製薬のみならず,世界の大手は勿論,日本の大手も,次なる主力商品の創出に躍起になっている。即ち,糖尿病・循環器疾患・高脂血症など患者数の大きな疾患であり,新規なメカニズムでかつ効果が高いこと,そして安全性が高いことのすべてが要求される。しかし,これら大手をもってしても,新薬はなかなか出ては来ない。それでは,大手の研究開発能力の限界なのではないか,いや,FDAのハードルが高くなったのだ,などと,外野はうるさい。

一方の見方では,既に,20世紀の間に,おおよそすべて考えうるだけの低分子化合物は,世界の製薬企業や研究室で,あらゆるスクリーニング系によって評価され尽くされてしまったのではないか,という声も聞かれている。しかし,それでも化学合成研究者の努力と才能によって,毎年新規化合物の臨床試験は開始されてはいる。

問題なのは,製薬企業の戦略なのではないか。多くの製薬企業がみな,生き残りを賭けて,似通った大きな市場にばかり目を向けている,いや向けざるを得ないのだ。何万人もの社員を養い,巨額の研究開発資金の負荷を考えると,大規模な市場を狙わざるを得ないのだ。恐らく,それぞれの創薬研究チームの人々の本心は,もっと違うこともしたいのだろう。会社の方針決定に歯軋りをする研究員の姿が目に浮かぶようだ。

そのせいもあり,難病と言われているような希少疾患(オーファン病)や小児の先天性疾患などの治療がおろそかになっていることは事実である。市場と売上確保のために,製薬企業本来の使命である社会的貢献と利益のバランスが崩れてきているのではないだろうか。

このような時期こそが,我々創薬バイオベンチャーの出番ではないかと思っている。市場規模は小さくとも,少人数のプロジェクトで迅速な決定プロセスに基き,アンメットニーズに立ち向かうことこそ,大規模製薬企業には手が届かない難病治療に貢献できる道ではないだろうか。

第15回(10月14日)『バイオ企業の人材について』

どこのバイオベンチャー企業にも最も共通する悩みの種は「人材」ではないだろうか。当社もご多聞に漏れず,人材確保には困り果てている。複数の職種で,1週間に何人も,しかも現職中が多いため,夜に面接することが多い。よい候補がいて,相手方の興味とも重なり,二次・三次と面接が進み,時間をかけて入社意向の返事を待つのだが,何度も断られてしまう。自分の人相や話し方が悪いのかと相談するのだが,どうもそればかりではないようだ。

日本の製薬企業は,日本の箱庭のような業界風土の中で,独自の発展を遂げてきた。しかし,近年M&Aの嵐の中で,にわかに人材の流動化が起きている,という話を時に耳にするようになった。しかし,残念なことに,こういった人材はバイオベンチャーに到達する前に,外資系製薬企業にほとんどが吸収されてしまっているようだ。理由は,給与の高さと将来の安定性。

当社も当然優秀な人材が欲しい。出来ればベンチャーマインドがあって,製薬業界を経験していて,前臨床も臨床も網羅でき,英会話が出来て,ビジネスセンスにあふれ,若ければなおよし,などと御託を並べ始めると途端に窓口が狭くなる。しかも,大手企業並の給与は出せない,などと言いだせば,人材会社の担当者の顔が曇り始めるのがわかる。実際,当社が望んでいるような人材はほとんどいないのだろうと,思えてくる。

当社の女性社員比率は,既に50%を超えている。これは意図してそうしたのではなく,男性がなかなかバイオ企業に飛び込んできてくれない結果なのだ。家族や住宅ローンをかかえた働き盛りの男性は,一度はベンチャーを夢見ても,最後はやはり安定性を求めるのだろう。それに引き換え,ベンチャーにも果敢に挑戦してくるのが女性だ。自分のキャリアをアップさせるための努力を惜しまず,仕事もきめ細やか。当然のことだが,業務能力に男女の差など全くない。もしかすると,近い将来,日本のバイオベンチャー企業は大半が女性になる日が来るのかも知れない。

第14回(10月1日)『研究のゴール』

毎週,毎月,毎年,医科学の専門誌には,おびただしい数の「新発見」が世界各国から報告されています。こういった論文を眺めていると,未来は明るい,がんは治る,アルツハイマー病もへっちゃら,などと思ってしまうことも,なくはない。しかし,実現への道のりは遠い。

近年,このような基礎的な研究成果を,独自に臨床へ繋げる試験,即ち「トランスレーショナルリサーチ(TR)」を試みようという動きが日本の医学界にも起こってきているようです。つまり,研究成果を前臨床試験から臨床試験に持ち上げてゆくという,まさに創薬ベンチャー企業に課せられた命題を,研究機関が独自で実現しようという試みです。

しかしながら,現実にはTRが実現した例は日本ではごく少なく,既に製品化された医薬品や診断法の適応拡大といったテーマが主体であって,「新発見」のTRは少ないようです。何故実現性が低いのか? その理由はいくつも考えられます。科研費が取れない,大学など研究機関のインフラに問題がある,規制当局側の体制が整っていない,或いは,提携企業などからの支援がもらえない,などと,様々に述べ立てられていますが,果たしてそうなのでしょうか?

最近,アメリカ第一線の研究機関の研究者とTRに関して話し合う機会がありました。彼曰く,アメリカの大学や研究機関では,すでに10年以上前からTRのインフラは進み,彼らが独自でGMPサンプルを製造し,独自で安全性試験を実施し,更に独自でFDAに治験届(IND)を出し,独自の倫理委員会に通した後に臨床試験を実施していて,まるで製薬企業と変わらない状況だ,ということでした。このような状況は,日本では皆無です。その際,彼との談話でキーワードとなったのが「研究のゴール」という言葉でした。つまり,日本の研究者のゴールは「論文作成」であり,欧米のそれは「TR」,いやそれどころか「医薬品化」であるとまで言い切ったのです。これには思い当たることがいくつもあります。これではいかん,と思った日本の研究者が,近年バイオベンチャーを次々と立ち上げていることは言うまでもありませんが,まだTRが日本に浸透しているという状況には遠いようです。

科学的に優れた発見が星の数ほど発表されたとしても,それが実用化に至る確率は,世界的に見てもごくわずかなのです。我々のような創薬バイオベンチャーは,TRの潤滑な実現を促し,医薬品として実用化の確率を引き上げることが使命の一つだと考えています。しかしながら,日本国内での実現可能性が非常に低いのが悩みの種です。今後,製薬業界や規制当局も含めた検討が,必要になってくるのでしょう。

第13回(9月15日)『中国・韓国の台頭』

先週サンディエゴで国際癌遺伝子治療学会に参加してきました。がんに対する様々な遺伝子治療,ウイルス療法,或いはsiRNAやZinc Finger Proteinといった最新治療法まで,がんに対する様々なチャレンジが披露されました。規模は100人程度と小さいものでしたが,より臨床を意識した演題が中心となり,アメリカバイオ企業からの参加も多く見受けられました。残念ながら,日本からの参加は,当社からの2名と大学からの2名,合計4名と寂しいものでした。

ADVEXIN(p53遺伝子治療)やGVAX(遺伝子細胞免疫療法)は着実にPhase IIIを進行させており,アメリカ国立がん研究所(NCI)も新規ウイルス療法や遺伝子ワクチンのPhase II試験を積極的に進めており,相応の臨床効果が発表されました。更には,ヘルペス,ポックス,レンチ,麻疹などの様々なウイルス療法が着実に臨床試験段階に入っており,3年後,5年後の臨床試験結果報告が楽しみな状況になってきました。

一方で痛感させられたのは,中国・韓国のがん遺伝子治療に対する盛り上がりでした。P53遺伝子治療が昨年中国で許可になったのをきっかけに,今年の12月に深セン(Shenzhen)で国際細胞・遺伝子治療学会が開催されることになっています。また,アメリカでPhase IIIを実施する直前であったがんウイルス療法剤NYX-015が,今年になって中国のSunway Biotech社に買われていった経緯もあります。

さらに,現地コンサルタントからの情報では,彼のがん遺伝子治療領域のクライアントは5社あり,その内1社が中国,1社が韓国,残りがUSAでした。日本からのオファーは当社が始めてであり,日本のバイオ医薬開発の,世界からの遅れを非常に危惧していました。また,アメリカのバイオテクノロジーを積極的に中国に橋渡しをしている会社が,近年非常に大きな利益を上げており,その企業は日本を全く視野に入れていないことがわかりました。

このような状況を目の当たりにすると,日本のバイオ医薬産業は本当に世界から取り残されて行くのではないかと危惧せざるを得ません。いまアメリカには,非常に優秀な中国・韓国人の研究者がバイオテクノロジーを学んでおり,彼らは近い将来,自国に帰って自国のバイオ産業に貢献することになるでしょう。その時までには,日本も世界に追いつかなければなりません。

オンコリスバイオファーマは現在,日本初のがんウイルス治療薬テロメライシンの前臨床試験をほぼ終了し,来年前半にはFDAにINDを行い,アメリカでの臨床試験を実施することを目標として,世界に追いつこうと努力しています。

第12回(9月1日)『優勝する資格』

シアトルマリナーズのイチロー選手の言葉を思い出す。あるTV局レポーターが「今年こそはワールドチャンピオンを狙いたいとは思いませんか?」と質問したところ,「優勝したいかどうかなどということは子供の発想でしょう。医者になりたいとか社長になりたいとか。問題なのは,そのチームに優勝する資格があるかないかと言うことだと思います」と答えていた。優勝するということは,たまたま勝ち続けてしまった,偶然相手が弱かった,と言うことではなく,それなりの陣容をそろえ,然るべき鍛錬をした上ではじめてもたらされるべきものであろう。それが優勝する資格のあるチームであり,そうなってはじめて「優勝をねらいます」と答えることができるというものであった。

ストイックに野球道を追及するイチロー選手らしい物言いである。我々も起業当初のスローガンは「新しい抗がん剤を作りたい」とか「IPOを目指したい」というように,イチロー選手に言わせれば「子供」のおねだり的発想であり,しかも未だにその域を脱しきれないのではないだろうか。つまり,新しい抗がん剤を作り,株式を公開するというベンチャー企業としての「資格」が本当に我々に芽生えてきているのかを,今こそ自分に問い直してみるべきなのでしょう。

当社では日々,新規抗がん剤開発を目的とした研究成果を創出し,それらがどのように臨床現場でがん患者さんに役に立ってゆくのかを議論し,吟味し,年中その問答に明け暮れています。それは,抗がん剤を世に出し,安全性と効果を維持してゆくべく鍛錬であり,ひとかどの製薬企業になるための「資格」を得ようと努力していることにほかなりません。

第11回(8月15日)『不屈の精神とは』

スペースシャトルが無事帰還した。日本人クルーの野口氏の活躍も大きな話題となったが,防熱タイルが剥落するなどの問題をかかえ,まさに満身創痍の帰還であった。二年半前の大惨事を考えれば,日本では到底考えられないようなチャレンジであったと言えるのではないだろうか。

一昔前のロケットとは違って,先端科学の粋を集積させたスペースシャトルは,巨大なプロジェクトによる,巨大な有機体だ。国家予算の無駄遣いだといった反論もあったようだが,ともかく,多くの人々の夢を乗せ,アメリカは再び宇宙への大きなチャレンジに乗り出したのだ。ここにNASAの宇宙に賭ける不屈の精神を見た。

この報道に触れると,私はこの20年間に及ぶバイオテクノロジーの歴史を思わずにはいられないのだ。言うまでもなく,その中心にあったのはアメリカであった。バクテリアやウイルスを使った蛋白質やワクチン製造から始まり,その後,遺伝子組み換え細胞を使ったモノクローナル抗体の開発が始まり,21世紀に入ると,遺伝子治療や再生医療などが始まった。このような医科学の発展は,様々な失敗と成功の連続でもあった。これらのテクノロジーが医薬品として認識されるためには,臨床試験による有効性の検証や,大量(GMP)製造法の確立という,やはり大規模なプロジェクトによる開発が必須条件になる。そして,それらの賭けに,数多くのバイオ企業が挑戦し,莫大な投資を行い,多くのプロジェクトが,臨床試験の最終段階(Phase III)まで進めながらも,その有効性の検証が出来ず,はかなくも消えていったという苦い過去がある。しかし,それにもめげず,アメリカは今日のバイオ全盛時代を築いてきた。日本では諦めムードになっている遺伝子治療のアメリカでの活況については,すでにこのコラムでも報告させて頂いた。

日本の医薬品業界には,残念ながらこのような歴史はない。と言うよりも作れなかった。事なかれ主義的な業界風土が,大きな賭けを許さなかっただろう。バイオ医薬の歴史は,世界中で,まさにスペース計画と同じようなチャレンジの歴史を歩み続けていると言ってよいだろう。当社は日本のバイオベンチャーではあるが,アメリカの不屈の精神を大いに見習いたい。

第10回(8月1日)『危機管理について』

東京都周辺を震度5の地震が襲った。直後の情報では震度4を伝えていたが,そ の後震度5に変更された。都庁から気象庁への伝達が遅れたことが原因であっ た。震度4と5ではその緊急度も異なり,事後に大きく影響することになる。鉄 道や道路をはじめ,通信まで混乱を来たし,首都圏の危機管理のもろさが各所で 露呈された。元来,農耕民族である日本人は,危機管理が弱いと言われてきた。 最近の話題で言えば,例えば企業買収問題然り,情報漏洩問題然りである。

よく知り合いのアメリカ人から指摘されることがある。個人主義が未発達の日本 では,個人が個人の責任において自分の安全を守るというクセがついていないの で,JRや地下鉄の駅では「飛び乗りは危険だ」とか「電車が来るから下がれ」と いったおせっかいにまで聞こえるアナウンスが喧しく流れ,まるで大人も子ども 扱いされている。そしてそれを当然のように甘んじて聞き入れているのが,非常 に不思議なのだそうだ。しかし,それが日本の風土なのである。

一方,我々のような駆け出しのバイオベンチャーにとっては,ITや事業戦略に対 する危機管理の重要さはよく分かってはいても,そのための大きな資金投資はと ても無理な話。それどころか,ベンチャー企業そのものの発想は,そもそも欧米 からのものであり,リスクを取っての事業展開にこそ,その存在価値があるというものだ。

では,リスクを取ることが前提であるベンチャーにとっての危機管理とは何か。 それは,個人主義の徹底ではないかと思う。合議制や多数決方式が常に優先され るようであれば,とてもリスクなど取ることは出来ないし,また,開発スピード も上がることはない。個人がプロとしての技量を備え,その経験に則り,責任の 所在を明らかにしてこそ,革新的な事業展開が出来るのではないかと思う。さし あたって問題なのは,来るべき災害に対して,身近には誰も地震や災害のプロが いないと言うことか。

第9回(7月15日)『天と地の差』

長期に亘って中断されていた,医薬品機構の治験相談がようやく再開されました。中断の理由は機構の人員不足。日本の新薬開発は益々世界に遅れをとる事にもなりかねない事態でした。今回30人程度の採用枠におよそ400人もの応募があったそうです。結構なことであり歓迎したいものです。しかし,人数だけの問題なのでしょうか?新薬の前臨床試験・臨床試験を評価するに足る,審査官の質は一体どうなのでしょうか?

先日,あるバイオ医薬品会社に勤務する友人と一献を交える機会がありました。彼はまさにその直前に,再開された医薬品機構との会議に参加した後でひどく憤っていました。機構相談の日程はおよそ4ヶ月前に設定されていて,相当難しい前臨床試験方法に関する相談であったため,当然事前に資料は医薬品機構に送付されていました。ところが,いざ会議が始まってみると,審議官がその資料を理解できていたのかどうかも判然とせず,メーカーからの相談事項にも的確な答えは返ってこず,挙句の果ては,「低分子医薬品のガイドラインに従ってください」 というもの。これでは,何のために4ヶ月以上も待たされたのか,意味がない,と嘆いていました。

それに引換え,先月に行われた当社とFDAとの会議は,まるで天と地の差ほどもあったのではないだろうかと思えます。非常に大まかで簡潔な資料と質問事項をFDAに送付し,会議を申し込んでから1ヶ月程度で電話会議の日時が指定されたのです。しかも,その段階で,今後のアメリカでの当社の治験相談に対する担当技官2名が確定されたのです。彼らは会議の前日までに,質問事項に対する明解な回答を文書で送付してくれ,そのおかげで,当日の電話会議は非常にスムーズかつ建設的であり,決してガイドライン重視のもんぎり型なものではありませんでした。しかも,最後には担当技官が「我々はこれからは(この新薬開発に関しては)ペアーであり,いつでも,どんなことでも,メールで構わないから相談して欲しい」というもの。この差は一体何なのでしょう!

この話を聞いた私の友人は,何とも羨ましげな眼差しで,ため息まじりに私を見たのは,言うまでもないことです。

第8回(7月1日)『襟を正す』

今年も暑い夏がやってきました。どうやら西日本では空梅雨の気配も濃厚で,早くも水不足が心配されてきています。それに追い討ちをかけるように,原油の高騰が収まらず,クーラーやエネルギーの節減が大きく取り上げられてきました。

そこで取り上げられてきたのが「クールビズ」。お上のお達しによると,室温を28℃に設定してエネルギーを節減しようと言うもの。日頃TVのニュースなどでは,いかにもカジュアルのセンスのないオジサン議員の国会風景などを見ていると,どうなんだろうかなと,首を傾げてしまいたくなります。そうかと思えば,メンズショップやデパートでは,久々に新しい売れ筋の話題が出来たとばかりにセールスを開始したかと思えば,京都西陣あたりのネクタイ業界は悲鳴を上げて,クールビズの中止を呼びかけ始めています。

先日,研究開発の打ち合わせで,ある医学部教授と話をする機会がありました。やはりその日は蒸し暑く,スーツが体にべったりと纏わりついてくるようでした。私は,先生もそろそろクールビズにするのですか?と質問したところ,「私は毎日多くの患者さんに接しています。しかも悪性腫瘍で苦しんでおられるご本人や家族の方々に,誠意を込めた話をしなければならないと思っています。そういう意味でもクールビズなど,もってのほかですね」と答えられた。「そろそろ考えてます」くらいの返事を予想していた私に対して,患者さんには襟を正さねばならないでしょう,と締めくくられ,私は一本取られた。

うっかりしたことを聞いてしまった,と反省すると共に,その教授を益々尊敬する気持ちが強くなり,いち早く新規抗がん剤を世に出す,という自分のミッションを改めて心に刻み直しました。但し,私は無類の暑がりで,この夏をスーツで過ごすことなど到底不可能だと割り切っています。せめては,今年新調したクールビズの襟を正して,仕事に臨みたいと考えています。

第7回(6月15日)

6月1日から5日までミズーリ州セントルイスでアメリカ遺伝子治療学会に出席してきました。アンチセンス,干渉RNAやDNAワクチンを含む遺伝子治療に関する演題が1000題以上も発表され,参加者も延べ4000人を超えたとのことでした。特にp53の遺伝子治療に関しては,アメリカでの許可も近いことも手伝い,多くの聴衆が集まってきていました。研究領域もがんばかりではなく,パーキンソン病やアルツハイマー病のような神経疾患,糖尿病や高脂血症,更にはリウマチなどに至るまで,あらゆる治療領域に研究が及んできていました。既に流行が過ぎてしまった(?)感のある日本とは隔世の感があるようでした。

この熱気の違いは一体どこから来るのでしょうか?

研究者の熱意の差なのか,研究費の違いなのか,或いは研究領域の趣向の差なのか,いろいろ考えられると思います。ただ,日本のバイオテクノロジー医薬開発が欧米に十歩も百歩も遅れを取っている現実を如実に説明しているように思えました。

多くの研究者は興味を流行の干渉RNAや非ウイルスベクター研究に移していってしまいました。せっかくあれだけ遺伝子治療に熱意を燃やしていたパワーはどこに行ってしまったのでしょう?残念ながら,日本にはアデノウイルスの基本論でさえ述べることが出来る研究者はほんの一握りしかいないのも事実です。また,大半の遺伝子治療研究者は欧米での実施例の上っ面だけをなぞっていたに過ぎなかったのかも知れません。

あるアメリカ人の遺伝子治療研究者がこう語っていました。 「全盛期を迎えた抗体医薬の成功を考えてください。30年以上にわたる歴史があって,今日の繁栄があるのです。我々の遺伝子治療研究の歴史はまだ高々10年そこそこに過ぎないのです」

その歴史の1ページを私たちは残して行きたいと考えています。

第6回(5月30日)

第一製薬と三共製薬の合併に対し,三共の株主である村上ファンドの村上世彰氏が異を唱えています。即ち,第一三共が発表したような,お互いの得意領域が補完されているという事業計画は,開発力を散漫にするのみであり,今回の合併は企業価値を損なうものである,と言うのが主張であったようです。

恐らく医薬品開発に関して村上氏は門外漢なのでしょうが,この考えには一理あると感じました。ご存知のように,医薬品開発には莫大な資金と12-17年という長い年月がかかります。特に臨床開発段階の後期に入れば,日本だけでも全国50-80施設の病院に何十人もの開発マンを張り付かせて何百例かの臨床試験のデータ取りをします。海外においては,特に動脈硬化や糖尿病に対する臨床試験では,複数国にわたり何万例ものデータを取るわけです。

確かに10年前までは,特に日本では,ごく短期間の投与で空腹時血糖値が30%低下したとか,コレステロールが20%低下したといった具合に,平均値としての数字があれば厚生省は医薬品の許可をおろしていました。しかし昨今ではそのようなわけにはゆかず,3年間の心筋梗塞の発症率や蛋白尿の出具合などを詳細に調べるわけです。そうなると,その効果を検証するためには欧米並みの症例数が必要になり,日本での許可もなかなか難しいものになってきています。たかが1つの領域でも,そのスペシャリストを企業内で養い育ててゆくのは容易なことではありません。

このような状況で,得意領域がお互いに異なり補完関係にあるからといって,合併がどれくらい有効なものか,意見は当然分かれるところだと思います。いまや相当な大手製薬企業でさえ開発領域を絞りつつあるなかで,今回のようにより広げることが得策かどうか。

これはひとえに,経営者(層)がしっかりしたリーダーシップを取れるかどうかにかかってくるように思います。規模の問題のみを重視してお互いになあなあでくっついてしまったのであれば,これは将来相当苦労することになるでしょう。吸収・合併を繰り返してきた銀行員の方々からもよくそんな話を聞きます。もっと特色のある製薬企業になろうといった希望に燃えた合併を期待したいものです。

第5回(5月16日)『勇気ある75点』

企業に課された社是は「完成された製品」を産み出すことであり,企業規模が大きくなるほどその完成度の高さが要求されます。企業の危機管理が強く要求されている現在ではなおさら100点満点の成績を目指せと,経営者の血圧は日夜うなぎ登りでしょう。実際,自動車の欠陥部品や医薬品の深刻な副作用を見逃さないためにも,常に100点を目指すと言うことは欠くべからざる条件だと言ってよいでしょう。

しかし,これはあくまで品質管理やコンプライアンス上での課題であり,あらゆる部門に均等に当てはまる条件ではないのかもしれません。100点を強調し過ぎればプロジェクトの進捗は遅れ,逆の場合には「100点のつもり,そのはず」といった暗黙了解・自己満足に繋がってしまう恐れがあります。

一方,企業の将来を支える研究開発部門についてはどうなのでしょうか?出来るものならばいつでも高得点を取りたいと思うのは人の常なのでしょうが,この場合は少々状況が異なっていると言わざるを得ません。特にバイオベンチャーにとって,100点は限りなく高いハードルであり,それ以前に,科学には100点の答えなどありはしないのです。従って,研究開発で100点を目指せば世界の開発競争には必ず負けることになってしまいます。生き残りは品質かスピードか?大きな問題ですが,私はスピードであると固く信じています。

先発品が最も市場で生き永らえるのは医薬品業界でも同様です。15年も20年も前に許可され,当時では画期的新薬と言われ,その後ゾロ品が出てきたにも関わらず,いまだに相当の売上を維持している医薬品はいくつもあります。当然営業力のおかげもあるのでしょうが,やはり先発品であったと言う「商品力」の賜物だったのだと思います。

では,先発品であるためにはどうすればよいのでしょうか?当然の事ですが研究開発をスピードアップすることこそ最も重要であり,そのためには例えば「75点に甘んじよ」と誰かが旗を振る事ではないかと思います。安全性の担保という医薬品の命綱の部分はあくまで別の話で,100点に近いほどよいのです。ところが,探索研究段階でその効果を突き詰め,もっと強力なものを,もっとよく効くものを作ろうと盲目的に追いかけてゆけば,半年や1年はあっという間に過ぎてゆきます。その間にも世界の競合会社の開発は進み,テクノロジーも進歩し,やっと前臨床試験が終わって気がつけば,先行グループはもう臨床試験を終わるところだった,などということはよくある話なのです。やはり安全性がある程度確認できたら,多少有効性に見劣りがあっても前に進む,という75点での見切りこそが世界の競争の仲間に入る条件であり,これは企業トップの勇気ある判断にかかっているのだと信じています。

第4回(5月2日)

新聞紙上を賑わした70日間に及ぶIT企業と放送企業のバトルはあっけない幕切れとなった。何か新しいメディアが出来るのか,とか,誰が損して得するのかなどと,固唾を呑んで見守っていた企業家にとっては,やや白けてしまった結末であったと言わざるを得ない。

はじめのうちは,旧態然とした放送業界のドンに対抗するベンチャー上がりの新進気鋭の若手社長に応援をしていた。日本企業の危機管理の甘さや,無謀なストックオプションの発行などに,毎朝新聞の見出しを見るのが楽しみでもあり,我が身に照らし合わせて自分の会社について様々なシミュレーションをしてみたものだ。しかしこの白けた読後感は一体どこから来るのでしょうか?

やはり企業としての倫理観・ビジョンがお互いにやや欠落していたのではないかと思うのだ。金で何でも買えると嘯くIT社長からは,一体何を具体的にやりたかったのか,社会に何を還元し,貢献しようとしていたのか,我々門外漢には全く見えてこなかったし,TV側は我々の知り得ないような業界のしきたりを必死に守るので精一杯だったのだとしか思えなかった。

これが対製薬会社の話であったならどうでしょうか? やはり旧態然であり,特殊で閉鎖的な業界である製薬企業は,同じようにしきたりにこだわり続けることになるのでしょう。本当はIT業界のような新しい風が吹いた方が製薬企業は新しい道を見つけられるかもしれないのですが。ただ,やはりこの業界ではより強い倫理観やビジョンが求められるはずです。医薬品は人を助けることも出来ますが,副作用で人を苦しめる可能性もあるからです。いくらお金持ちの企業が買収しようが,生命に対する倫理観が欠如していたり,儲かるのであれば少々副作用があっても問題無いなどという発想があれば,これは問題となるはずです。全てがお金で片付く問題ではないのです。

このように異業種のM&Aと言うのは難しいもので,このような状況をシミュレーションしてみることによって,改めて自分の業界がどのような使命感を持たなければならないかが見えてきたような気がします。

第3回(4月15日)

新薬の風はアメリカから吹いてきます。これまで新薬の承認はほとんどがアメリカ先行でした。そして日本の製薬業界もその流れに乗ってゆこうと必死です。一方では,日本からの一流医学雑誌への投稿数や創薬に関する特許出願件数は増加の一途を辿っており,新薬研究レベルはもしかしたら欧米と同等のところまで来ているのではないかとも思われます。

それでは,日本とアメリカでの新薬開発において何が異なっているのでしょうか?メガファーマの持つ莫大な資金力を別にすれば,それは「開発スピード」なのではないかと思います。日本の新薬売上の上位品目を見ると,全て20年以上も前に薬学部の教科書で教えられたメカニズムのものばかりです。これがまだ医薬品市場で売れ続けているわけです。一方アメリカに目を転じてみれば,売上の上位製品は日本と変わりませんが,近年FDAから許可された新薬は,まさにバイオ製品が主流を占めていることが分かります。最新の科学情報を元にした医薬品開発が,欧米では如何にスピーディに行われたかを窺い知る事が出来ます。日本はその開発競争をF1レース見物のように,ただ眺めているだけ,と言う構図が見て取れます。

新薬の開発には元来莫大な開発費用と時間がかかるものです。それにも関わらず,更にスピードが鈍って開発に時間がかかるようになってくると,その開発費用は人件費などが嵩んで雪ダルマ式に膨れ上がってきます。経営トップの逸早い決断力が,その開発スピードに大きく影響することは間違いなく,「これは効くのだ」と現場が認識したプロジェクトについては,世間の流行がどうであれ,それを素早く見極め,「Go/No Go」の決定を図るトップの判断力が,その企業の将来を決定付けることは,どのような業種であっても同じことなのでしょう。

第2回(3月31日)

元三重県知事の北川正恭(現早稲田大学教授)の「北京の蝶々」と題された公演を聴いてきました。北川氏の熱弁による多岐に亘った内容のために詳細を逸しましたが,一言で言えば「北京で蝶々が舞えば,ニューヨークで嵐が起こる」と言う近年の中国経済の動きを表現したものでした。地方からの小さな働きかけで国のしくみまでも変えてみよう,という北川氏の壮大なる構想のキーワードになっています。 これは我々バイオベンチャーにも大いに当てはまるのではないかと思います。まだその臨床上の安全性も有効性もはっきりしないような新しい治療法としての「蝶々の舞」という開発を始めることにより,そのムーブメントがいずれこの業界の流れを大きく変え,更にはがん治療の流れさえ変わってゆく,そんな動きを起こしたいと心から願っています。

第1回(3月15日)

オンコリスバイオファーマを立上げたのが去年の3月。間もなく丁度1周年を迎えることになりました。その間,製薬業界も再編が進み,益々世界のメガファーマとの競争が熾烈を極めて来ています。そのため大手製薬メーカーは益々狙うべき適応疾患が循環器や内分泌疾患などの巨大マーケットに限られてくるため,がんやオーファン領域にはなかなか手が出せないのが現状です。極力自社での研究領域を狭め,その他の領域に関してはベンチャー企業から導入,というのがパターン化されつつあるようです。そのような状況は我々創薬バイオベンチャーにとってはむしろ好機到来と考えます。

我々は今年も特異的腫瘍破壊ウイルス「テロメライシン」の開発に全力を傾けてゆきたいと考えています。

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