社長コラム

社長コラム 2008

第49回(6月23日)『プロの品格 -Nobles Oblige-』

カリフォルニアのサンディエゴで行われた今年のUSオープンでは,5日目18ホールによるプレーオフでも決着がつかず,引き続くサドンデスの結果,タイガーウッズ選手が死闘を制してまたしてもメジャー大会の優勝を勝ち取りました。

御存知のように今回のタイガーは,軸足の左膝を手術した後で,彼本人の談話では体調は万全,左足膝には全く問題はない,と話していました。しかし,彼のようなハードヒッターは常にフルスウィングで,全体重とスウィングによる遠心力が全て左膝にかかります。案の定,3日目後半以降の彼の左膝は強い痛みを発するようになり,凡人ならばとてもゴルフなどしていられないほどの状態であったと言われています。

ところが,そうなってからの彼のプレイはまさに奇跡の連続。痛みをこらえてのフルスウィングのティーショットは,その度に大きくフェアウェイを外れて観客の中へ。そしてそのリカバリーショットは辛くもグリーンを捉え,そして奇跡のイーグルやバーディーを次々に奪ってゆく,まさに奇跡の追い上げで観客を魅了してゆきました。

渾身のスウィングの後,タイガーは一瞬苦痛に顔をゆがめはしましたが,その後は気丈にも,何事もなかったかのようにフェアウェイを歩き出し,既に次のショットに向けて神経を集中させてゆきます。その相貌は見ていて恐ろしいほどの迫力があり,まるで怒っているようにも見えるほどでした。

プロの選手にとって,膝が痛かったからスコアが出なかった,という言い訳は一切意味がありません。Nobles Oblige(ノブレスオブリージュ)と言う言葉があります。「位高ければ責任重し」とでも訳すのでしょう。まさにタイガーの姿を現しているように思います。世界のゴルフ界に君臨するという重責を担う者の,あるべき姿がそこにありました。どんな逆境に立たされても,どのような自己犠牲を強いられようとも,ひたすら自分自身に対面し,勝利するという責任を全うするためにのみ全神経を集中させてゆく姿に,企業経営者にも通ずる一面を垣間見ました。

この試合後タイガーは再び膝の手術を余儀なくされ,今シーズンの残る2大メージャー大会への出場は不可能になりました。しかし,タイガー自身の試合後の満足感は,他人には知りえないほどのものではなかったかと想像します。「リスクを取った者」のみが味わうことが出来る,大きな喜びに包まれているはずです。リスクを取れる経営こそが,ベンチャー企業が味わえる勝利の美酒への道なのです。

第48回(5月2日)『起業4年間を振り返る -Festina Lente-』

おかげさまをもちまして,弊社は起業以来4年を経過し,いよいよ5年目に入ることができました。これもひとえに投資家の皆様をはじめ,弊社の事業に関わって頂いた皆様のおかげと胸に刻んでおります。

西麻布のマンションの1室から始まった弊社の事業も,今では社員数30名の所帯となりました。腫瘍溶解ウイルスのテロメライシンはアメリカでの第1相臨床試験を終え,抗HIV薬のOBP-601も先月アメリカのFDA(食品医薬品局)から治験実施許可が下り,まもなく投薬が開始されます。がんの細胞診断薬テロメスキャンは,がん患者様の血中に浮遊している微小がん細胞検出キットを完成させるために,現在シスメックス㈱との共同研究を行っています。また,ウイルスのRNAを切断するという新規なメカニズムを持ったC型肝炎治療薬OBP-701は昨年カリフォルニアにあるTacereTherapeutics社より導入して前臨床試験を開始しています。このように,弊社はこれまで着実にプロジェクトを進展させて参りました。しかしながら,今思えばその道のりは必ずしも平坦なものではありませんでした。

起業1年目の資金集めは,ファイナンスの素人であった私には至難の技でした。万事休する直前に目標額が集まり,ようやく会社としての活動が可能になったのは,起業してから5ヶ月たった頃でした。小さなオフィスを六本木二丁目に開設。そしてテロメライシンの製造がアメリカで開始されました。2年目にはテロメライシンの前臨床試験とウイルス製造に全力投球しましたが,途中でウイルス製造用マスター細胞の変更の必要性が判明し,賭けにも近い大きな決断を余儀なくされたこともありました。思えば少ないメンバーでスクラムを組み,苦しくも楽しい毎日だったように思います。

そして3年目にはいよいよテロメライシンのアメリカへの治験届け。創業2周年目の記念日のことでした。しかしその後,ウイルスの品質管理項目で一部の不備が指摘されましたが,4ヶ月と言う短期間で治験開始許可に漕ぎ着けました。ところがその直後にテロメライシンの遺伝子に予想外の配列が見つかり,急遽FDAと相談を行い,臨床試験に入るのには問題ない,との判断がなされ,社員全員安堵の溜息を漏らしたことがありました。

OBP-601の導入時には,アメリカの名門エール大学から初めは何度も無視に近い対応をされ,おまけに世界最大級の製薬企業との競争をさせられる始末。雪時雨のコネチカットに何度も通い,ようやく当社に導入が決まった時は,体から力が抜けるようでした。そして,サブプライム問題や原油高の逆風が吹きすさぶ中の今年始めの資金調達では,担当者共々寿命の縮む思いを味わいましたが,何とか目標額を達成できたのは弊社の優秀な社員の努力の結晶と思っています。

今年はこれまでの4年間とは比べ物にならないほど厳しい1年になることは確実でしょう。引き続く株安,投資熱の低下,政局の混乱などの中,弊社は着実にパイプラインの進捗を図り,製薬企業との提携を進めてゆきたいと考えています。「悠々として急げ(Festina Lente)」という言葉を胸に。

第47回(3月31日)『日本のバイオは何故欧米を越えられないのか?』

昨年の暮れから今年にかけて何社かのバイオ企業が株式上場(IPO)を果たし,更にはまた何社かが年内のIPOを計画しているようです。しかし,IPO後の株価はなかなか上がらず,企業価値は欧米に比べてかなり低く抑えられてしまっています。このような状況では,業績が上がったとしても簡単に大手企業から買収されてしまう確率が高くなります。それ以前の話として,資金調達がスムーズに出来なくなっています。

最近日本のバイオ技術として万能細胞(iPS)が世間から高く評価され始めています。これまで検討されてきた幹細胞を用いた技術では,生体適合性やがん化率の問題で,なかなか臨床応用が出来ませんでした。これらの問題を解決する技術としてこのiPSに大きな期待が寄せられています。しかし,その見通しは必ずしも明るいとは言えないかもしれないと感じています。国からの莫大な資金が研究費として投入されましたが,特許の面でもアメリカに先行されており,また,臨床応用の延長線上にある商業化に対する構想が日本にはまるでない,という大きな問題点が潜んでいるようです。

この20年間を振り返ってみると,欧米のバイオ技術として,リコンビナント蛋白製造技術,遺伝子解析・遺伝子治療,ヒト化抗体医薬,RNA干渉技術,再生医療などが日本にも伝わってきました。しかし,これらの技術の商業化には欧米での先行開発に頼らざるを得ない状況であり,地に足の着いた研究ができていないために,研究が流行する数年を過ぎるとあっという間にその技術から遠ざかってしまう,という悪循環を繰り返しているように思えてなりません。日本のバイオ産業は待ちの姿勢を取らざるを得ない状況です。

国内のバイオ産業への資金投下が減少している問題に関しては前回述べましたとおりです。しかし,問題は私たち企業側にもあります。経営者が描く研究開発計画がよく練れていなかったためにスケジュールが遅れ,資金が焦げ付いてしまう。プラットホーム技術は持っているが,それを創薬開発に展開できない。国内の計画は立つが,グローバル展開の目処が立たない,など。それぞれの企業で状況は違うものの,世界のバイオ産業の仲間入りをするのにはまだ大きなハードルが立ちはだかっています。

温暖化問題に対処するべく京都議定書(2000年)の排出ガス削減の実施がいよいよ今年から始まりましたが,未だにその具体的方法論が日本にはありません。駄目なら炭酸ガス排出権を他国から買えばいい,という議論が先行しかけています。これと同じような構造が日本のバイオ業界にも見え隠れしているように思えます。自分たちが率先して動き,自分たちが世界をリードし,自分たちが歴史を作ってゆく,というフロンティア精神がまだ身に浸み込んでいないのかも知れません。私自身にとっても耳の痛い話です。

第46回(2月29日)『それでもバイオ創薬は生き延びる』

近年のサブプライム問題や個人投資熱の冷却感から,新興市場への株式公開が低迷を続けています。ことにバイオ関連株に関しては世間の目も冷たく,我々バイオベンチャー企業から見ると,理不尽なほど企業価値は低く見積もられています。サブプライム問題の張本人であるアメリカでも同じように株価の低迷は続いています。しかし,一時の隆盛期程ではないにしても,バイオ関連に関する投資熱はまだ決して冷え切っているわけではなく,2007年のバイオ企業への投資総額は$2.94B(約3150億円)となり,2006年の$3.21B(約3435億円)に比べ10%ほどの低下を示してはいますが,依然日本に比べ高い水準にあります。

当社もこれまで数回にわたる増資を行い,現在も将来の臨床試験実施に備えた増資を計画しています。しかし,日本のベンチャーキャピタルからの投資環境は相当に悪い状況であると言わざるを得ないと思います。これは,世界的な株価低迷以外にも,昨年来の新規上場創薬バイオ企業の株価が低迷したことに大きな原因があるようです。私の単純な思いつきでしかありませんが,このままの状況が続くと,日本のバイオベンチャーと言われた企業の大半がこの数年で消滅してしまうのではないかと危惧しています。

このような状況になった原因を,景況感などの外的要因にだけ求めていてよいのでしょうか?われわれバイオ企業側にも問題があったのではないでしょうか?2000年代の初頭にベンチャー企業の上場ブームがあり,自分たちも同じ状況で容易に上場できるはずだと勝手に思い込んではいなかったかと,反省すべき点もあろうかと思います。何度かこのコラムにも書きましたが,いくらバイオベンチャーが難しい理論を展開しても,世間がそのテクノロジーを受け入れ,自分たちの将来に希望が持てるのではと思わない限りは,バイオは世間に認められないでしょう。

このような状況でも,当社のテロメライシンは,第1相臨床試験で安全性の評価を終え,今年の後半にはアメリカやアジアで色々ながんを対象にした第2相臨床試験を開始する予定です。また,HIV感染症治療薬OBP-601もまもなくアメリカに治験申請する計画になっています。がん細胞診断薬テロメスキャンやC型肝炎治療薬OBP-701も順調に研究が続いています。経済の景況感がどのようになろうとも,バイオ創薬はこの厳しい状況を生き抜いてゆくものと確信しています。我々のプロジェクトもたゆまなく進捗を遂げ,分かりやすいバイオを発信し,少しでも早く医療現場に貢献できるよう最善を尽くしてゆきたいと思っています。

第45回(2月1日)『ベンチャー企業の生き残るべき道』

今年もサンフランシスコで行われたJP Morgan主催のヘルスケアカンファランスに参加してきました。サブプライムローン問題や株価低迷の嵐が吹き荒れる中,相変わらずアメリカのバイオ産業は大きな業績を維持し,新しい抗がん剤やC型肝炎治療薬の臨床試験も大きな進捗を遂げていました。日本のバイオセクターの低迷ぶりとは別世界のように感じました。

数多くのアメリカのバイオ企業社長のプレゼンを聞いていると,やはりそこにはいくつかの生き残りの術が見え隠れしていることに気づきます。その最たるのもは製薬企業とのアライアンスであり,またプラットホーム技術の持続的な導出やジェネリック医薬品の適応拡大による販売など様々に戦略を立てています。こういった話を聞くことは,バイオベンチャー経営者にとって非常に刺激になります。

当社の最大の戦略は「スピード」です。大企業には達成不可能なほどのスピードです。遮二無二走り続けるのではなく,立てた計画の質を保ちながら如何に納期を遵守するかが重要だと考えています。これが簡単そうに見えて,実は非常に大変なことなのです。

私はこれまで一貫して「70点でまず乗り切ろう」と社員に訴えかけてきました。それでは品質が心もとないではないかと疑問を持たれるかもしれません。しかし,そうではない場合も確実にありうると思っています。

例えばHIV感染症の薬があります。いまから15年ほど前にアメリカのいくつかの製薬企業がプロテアーゼ阻害剤(PI)というカテゴリーの薬を開発し始めました。当時は非常に副作用の強い薬しか許可にはなっておらず,それらの単独投与では十分な臨床効果は出ていませんでした。しかし,PI は画期的な新薬と言われながらも,大量投与が必要であり,そのカプセルも巨大で,なおかつ1日に1.5L以上の水と共に服用する必要がありました。今ならそのような薬を開発しようとは誰も思わないでしょう。しかし,当時はPIの登場によりHIV感染症からAIDSによる死を大幅に予防することが出来たのです。これは,70点が人類に貢献できたよい例だと思います。100点に限りなく近づくことだけを考えて,時間ばかりをかけているような保守的な製薬企業には真似のできないことだと思います。自社の美学に溺れてしまい,肝心な患者様を忘れてしまってはいないでしょうか?

私はこれからも「70点でまず乗り切ろう」という戦略を続けてゆきたいと考えています。ただし,薬の安全性に関わるような問題に関しては,果敢に立ち向かってゆくことも忘れないようにしたいと思っています。

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